上地流空手道の歴史
上地完文翁銅像の台座に刻まれる歴史
上地完文氏は文武両道の町民性を表す「武本部」の精神を掲げる本部町伊豆味にて父完得、母ツルの長男として1877年5月5日に出生。
20歳に中国福建省の南派少林拳、周子和師に師事。7年後の1904年虎形拳の拳パンガヰヌーン(半硬軟)拳術の免許皆伝となる。
1910年帰郷。1924年に和歌山県に転出し拳術指導。1940年には流派名を「上地流」と改めた。
その技法こそが指先、足先を駆使した必殺技、龍・虎・鶴の拳である。
完文は、武訓信条について「武は義理をたすけ、義理は武のたすけをなす」として武術の精神を説いている。
更に技術のモットーに「眼精手捷」を掲げて指導にあたっている。
上地流空手道の初代完文が基礎を築き、長男完英が県内外海外と普及発展させ世界的レベルで上地流を質的に深化発展させた。
本部町では町長高良文雄氏はじめ商工会、観光協会、ふるさと納税等の諸協力で募り空手巡礼地・桜と八重岳の地で文化発信拠点に県内初の銅像塔を県立し空手の聖地になることに期待し「武本部精神を今に」と掲げ、上地完文銅像建立委員会上地流空手道協会、賛助者、世界の空手関係者等の心のよりどころとするものである。
完文氏は1948年11月25日に不帰の客となった。
行年71歳。
上地流開祖 上地完文翁銅像
上地流開祖 上地完文翁銅像
2018年4月21日に、上地流開祖、上地完文翁銅像除幕式が、完文翁生誕地の本部町にある「八重岳桜の森公園」で行われました。空手開祖の立銅像は沖縄県内初となるものです。
銅像正面は完文翁の生誕地・伊豆味を向き、後方は終焉の地・伊江島を臨む。銅像の高さは、台座を含めて約4.8m。
【場所】八重岳桜の森公園
沖縄県国頭郡本部町字並里921番地
上地完文翁 略歴
出生 明治10年(1877年)5月5日
本籍 沖縄県本部町伊豆味
略歴
・明治30年(1897年) 中国に出国 福建省福州市で周子和に師事。
・明治37年(1904年) 周子和より免許皆伝を受ける。
・明治39年(1906年) 福建省南靖において道場開設。
・明治43年(1910年) 沖縄に帰郷。当山ゴゼと結婚。
・明治44年(1911年) 上地流2世完英誕生。
・大正13年(1924年) 和歌山へ就職のため出立。
・大正15年(1926年) 社宅にてパンガヰヌーン拳法を指導。
・昭和7年(1932年) 和歌山市手平町に道場を開設。パンガヰヌーン流空手術研究所とする。
・昭和8年(1933年) 修武会を設立。
・昭和12年(1937年) 長子完英へ免許皆伝を与える。長子完英大阪西成に道場を開設。
・昭和15年(1940年) 長子完英兵庫県尼崎市に道場を移転。上地流空手術の看板を上げる。
・昭和16年(1941年) 上地流3世完明誕生。
・昭和17年(1942年) 長子完英、沖縄に帰る。名護宮里に道場を開設。
・昭和21年(1946年) 完文、沖縄に帰る。
・昭和23年(1948年) 逝去、享年71歳。
本籍 沖縄県本部町伊豆味
略歴
・明治30年(1897年) 中国に出国 福建省福州市で周子和に師事。
・明治37年(1904年) 周子和より免許皆伝を受ける。
・明治39年(1906年) 福建省南靖において道場開設。
・明治43年(1910年) 沖縄に帰郷。当山ゴゼと結婚。
・明治44年(1911年) 上地流2世完英誕生。
・大正13年(1924年) 和歌山へ就職のため出立。
・大正15年(1926年) 社宅にてパンガヰヌーン拳法を指導。
・昭和7年(1932年) 和歌山市手平町に道場を開設。パンガヰヌーン流空手術研究所とする。
・昭和8年(1933年) 修武会を設立。
・昭和12年(1937年) 長子完英へ免許皆伝を与える。長子完英大阪西成に道場を開設。
・昭和15年(1940年) 長子完英兵庫県尼崎市に道場を移転。上地流空手術の看板を上げる。
・昭和16年(1941年) 上地流3世完明誕生。
・昭和17年(1942年) 長子完英、沖縄に帰る。名護宮里に道場を開設。
・昭和21年(1946年) 完文、沖縄に帰る。
・昭和23年(1948年) 逝去、享年71歳。